人間が違えばルーツも変わる。ルーツって言葉、すごく好き。

 

矢花くんへの返信ブログです、すみません。

 

※返信ブログといいつつ自分の音楽話ぼそぼそするつもり

 

矢花くんの音楽のルーツはB'zなのかな、

と見てちらと分かりますが、

わたしの音楽のルーツはSEKAI NO OWARIです。

 

以前にもブログで書いたように

(引用:

https://r1rr2r.hatenadiary.com/entry/2020/08/28/192135)

なんかこれいくつにも分けてるから薄っぺらいかも!

 

セカオワに出会って音楽が好きになった。

 

だからさ、セカオワの音楽を新譜旧譜問わず聴くと

 

「来てほしいときに来てほしい音が鳴る」

 

感覚に陥るんです

 

これは、SEKAI NO OWARIで音楽知識を得たから、というか育ての親(?)というか、だからだと思う

 

顕著に自覚した瞬間が、2018年(まって、うそ、2018年!?)のイルミネーションというシングルのとき。

 

イルミネーションのBメロ、頭の1拍に8部音符の2連が打ち込まれているところ。

 

初めて聴いたとき、このリズムにどこか懐かしく、暖かい気持ちになった記憶がある。

(すみません、音楽を専門的に勉強をしたことがないのでもしかしたら滅茶苦茶王道なやつかもしれない)

 

そんな風に、ルーツを感じる瞬間がたまらなくわたしは好きです。

 

という話。

 

ルーツの話は置いておいて、

 

記録媒体の話。

 

わたしはクラリネット→アコギ→ジャズべ→テナーサックスの順で楽器を始めたんだけれど、

 

吹奏楽部時代のクラリネットは、

 

「マイクを通さずに相手へ届ける」

 

が基本の世界だった。小さなバンドだった、っていうのもあるけれど

 

管楽器の原動力は演奏者の息のみであり、

 

つまりマイクを通さずに、ということは

本当に自分の息だけで聴いてくれている人に届けなきゃという意味になります。

 

だから、敢えて言葉を気にせずにいうのなら、

 

管楽器は弦楽器よりもよりあからさまに強弱記号を気にして演奏する必要がある

 

という気持ちで演奏しておりました、当時。

 

自論ですが、自分の出した息が楽器を通して外界に出て地球を一周して背中を刺す気持ちでソロを吹いたりしておりました。自分で自分の背中を押す、的な。

 

きっとこれは記録媒体のなかった時代に生まれたクラシックや吹奏楽、というジャンルならではの感性なんだと思います。

 

アコギでは人前に立ったことがないので

分かりませんが、

 

というかアコギは学生時代、教室に持っていってクラスメイトの歌に合わせて弾く伴奏要員だったので、(これを自給自足カラオケと呼んでいました) 

 

特別音との重なり合いを感じることはしなかったんですよ、敢えて。

 

ただクラスメイトと「同じ温度の楽しい」を感じるためにやっていたので

そこに根拠や理論は必要ないと思っていたからです

 

まあそんなことを学生時代の5年間やっていました

 

その隙に、というか高校2年生の頃にベースを始めました。

 

バンドを組んで文化祭に出るためなんですけど。

 

そこで初めてアンプを通して聴いてくれる人に届ける、という経験をしたんですよね

 

アンプ、むず!そう直感的に思いました、

なんせ楽器を初めて5年目に初めて媒介する機械を手にしたもので。。。

 

結局、エフェクター等に手を出せずに今に至るんです

最近はベースを人前で演奏する機会もなくなってしまって、、くやしい

 

 

最近はもっぱらアコギと1人でひっそりベースをしています。

いつか演奏動画SNSにあげたい

 

そんなこんなで矢花くんと音楽の入口が全く違うしがない土木女子のブログでした^^

 

 

わたしの本名にも「れい」が入るので勝手に親近感を覚えている

♯P黎リスト  

 

わたしのプレイリストも公開させてください

 

今回のテーマは「なうぷれ」

単純に最近よく聴いている曲です。

 

ガラス花/Hokuto Matsumura

BakaBakka/超特急

チョコループ/原因は自分にある。

ヒーロースーツ/back number

♡人生♡/コレサワ

LOVE ROCKETS/The Birthday