桜と声が出会わせてくれた縁のはなし

完全に気を抜きました。

気付いたら6月。

毎月1本は投稿しようと思っていたのに。

 

この2ヶ月は、ひたすらに旅をした。

旅によって巡り合う新しい知見もあるし、出会う縁もある。

今日は、そんな縁の話をひとつ。

 

 

2023年4月

わたしは、友達と大阪へ旅に出た。

旅の目的は、好きなアイドルのライブを見るためであったし、海遊館へ行くためであった。

 

そのライブ会場で、ひょんなことから、同い年の女の子2人と出会った。

はじめは、形式的なあいさつだけをして、お別れする、きっと次に同じ会場にいても忘れてしまっているだろうと思ってしまうだけの関係であったはずなのに、ライブを見た後、一緒に晩御飯を食べた。そもそも、ドーム規模のライブ後の会場で待ち合わせをするなんて無茶な話であったのに、ドーム規模のライブが終わった後のまちで、晩御飯のお店を探すなんて無謀だったのに、わたしたち4人はその手間さえも惜しまなかった。間違いなく、ここで晩御飯を諦めていたら、、と思うと、あの頃のわたしたち、ナイス!と思わざるを得ない。あの黄色の看板の光は、間違いなく希望だった。

 

そこからは、仲良くなるなんて簡単だった。

 

時系列のことあんまり覚えていないけど、新幹線内で待ち合わせをして、また大阪へ一緒に行ったし、おんなじホテルに泊まり、おんなじ朝ごはんを食べたり、わたしの住むまちまで遊びにきてくれた。

 

大人になっても、新しい友だちはできる。

わたしたちは、完全に友だちだと思う。

 

正直、初対面のときは、仲良くなれるか分からなかった。自分の人生とはかけ離れた生い立ちだったから。

それは杞憂だったのだと、晩御飯を食べているとき(出会って数時間)で思い知った。

 

 

その子は、わたしが誕生日を迎えたときに、わたしのことを「我がまま」だと言ってくれた。

めちゃくちゃ嬉しかった。わたしのことを、そんな風に見てくれる人がこれまでにいなかったから。わたしのこだわりが強いところ、好きなところでもあるけど嫌いなところでもあったから、肯定してくれる言葉をくれて、宝物になった。

 

 

わたしは、その子が、わたしの好きを馬鹿にしないところが好き。おんなじ好きを持っているところが好き。好きを仕事にする強さを持っているところが好き!

 

物理的距離が離れているから、毎月会える訳じゃないし、学生時代の繋がりじゃないから、定期的に集まるコミュニティがある訳でもない。

だからこそ、いつか、好きが離れて途切れてしまう縁なのかもしれない。

 

それでもわたしは、あたたかくおだやかなこの縁を、少しでも長く続くように守りたい。これは、わたしの宣言!

 

お誕生日おめでとう

早く会いたいね、会いにいくね

 

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明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ

わたしが好きな言葉のひとつ。

これは、ガンディーの言葉で、14歳のころに出会った。

 


その頃のわたしは、自分の好きが何かをようやく理解し、好きを追求するという行動があるのだ、と知った時期だったと思う。要するに、本質的な自我の芽生えなのだと思っている。

それまでのわたしは、好きなものはあっても好きだなと思うくらいで、特別何かについて追求することはなかった。いや、世界の広げ方を知らなかったんだと思う。

 


14歳の誕生日に母親からもらったSEKAI NO OWARIのtreeというアルバムの出会いが、わたしの人生を確実に変えてくれた。

 


SEKAI NO OWARIを知り、ラジオを知り、言葉の面白さを知った。

小さいころから、本を読むことは好きだったし、本との距離が近い家で育った。ただ、そのときまでは、物語を目で追うことが好きだっただけで、この言い回しが好きだな、とかこのセリフはグッとくるな、とかの感想は持ち合わせていなかった。

 


でも、ラジオと出会って、価値観が変わった。ラジオは、耳でしか受け取ることが出来ない。言葉が目に見える訳ではないから、巻き戻すことも出来ない。(当時の技術では)

だからこそ、その瞬間の言葉を大切に記憶の中で反芻していかなくてはならない、つまりは、自分の、はたまた誰かの記憶の中に自分の言葉が一生生きていくことが出来る可能性を感じた。

 


まあもちろんたかが14年生きただけの少女にそれだけの言葉を発する経験値がある訳もなく。

 


そこでとった行動が、偉人の名言を調べることだった。

かつてネットリテラシーも何もないわたしはインターネットで調べたこと全てが事実だと思っていたので、NAVERまとめ(いや懐かしすぎ)でひたすら偉人の名言を調べては自分のノートに書き込んでいた。

 


その中で出会ったひとつの言葉で、今でもノートを見返さずとも覚えている言葉のひとつだ。

 


人間は永遠には生きることができない。

もちろん、だからこそ美しいものだと思っているけれど、やっぱり全ての事象に対して潜在的に永遠を望んでしまうことが、永遠だと錯覚してしまうことが、人間の愚かな部分だと思う。

 


永遠だと錯覚してしまうが故に、1日を大切に出来ていなかったな、と後悔する2月だった。

 


体調不良により、寝込んだ1週間もあったけれど、その他の日は、だらだらと何もせず、眠れば良いのに何回も見たような動画を見て、時計の針がまわるだけの時間をどれだけ過ごしてしまっただろう。

 


本も読めず、映画も見ず、かといって何かを創作する訳でもない。

思い返しても対した思い出もない1ヶ月を過ごしてしまった。

 


毎日一生懸命に生きることが、辛く大変だから、そこまでやりたい訳じゃない。だらだらな日だってあっても良い。けど、2月はあまりにもだらだらな月だったな、と思い返すだけで嫌な気持ちになる。

 


先週、久しぶりに本屋へ行った。そこは、自営の本屋で、お店に並んでいる本が、自分の好きな本ばかりで、読んだことある本がたくさんあった。だからこそ、この本屋に並んでいる読んだことない本は、絶対にわたしが好きな本だと確信できた。その瞬間、2月に忘れていた、目を背けてしまった読書意欲、知識を欲する意欲が自分の中で湧いたことを体感した。

 


学生時代の勉強なんて対して大人になって使わないよ

 


と、よく言われるが、そんなことはない。(わたしは専門学校へ通っていたため、今でも学生時代の知識を使うがここでは一般的な話とする、これはわたしのプライドのための注意書きです)

 


ラジオを聞くことが好きだと先述したが、ラジオほどそれを実感する。会話だと相手に意味を尋ねることが出るし、本であれば一度閉じて調べることができる。でも、ラジオは出来ない。ラジオパーソナリティの小ネタに対して、知らなければ本質的な面白さを受け取ることが出来ない。

 


例として、わたしがよく聞くラジオで、高飛車になって批判を受け入れられなくなったものの対してパーソナリティが、「もうすぐ虎になっちゃうんじゃない?」と返していた。

 


中島敦の山月記の話の引用だ。

 


国語の教科書に載る名著であり、この返しをすぐにできるパーソナリティも、この話を聞いて山月記だ!となれた自分にも、嬉しくなった。義務教育の賜物だ。(ちなみにこのパーソナリティは、我が推し、M!LKの吉田仁人さんです!)

 


好きな言葉を説明するのに別の好きな言葉で例えるのはどうかと思うが、

 


知識や経験は年を取らないし、誰からも盗まれることのない財産

 


とよく言われる。

まさにそうだと思う。

例えすぐに思い出せないような場所に入ってしまったとしても、一度経験したことは、一度学んだことは、必ず自分の中に在る。

 


その知識が、誰かの役に立てる日が来るかもしれないし、自分のピンチを助けることがあるかもしれない。だから、わたしは学び続けたい。そう思えるようになった3月だ。

 

 

 

季節の変わり目だし、何かを始めるにはぴったりかもしれない。

 

 

 

 

 

Century of Quarter

25歳になった。

 

正確には、これを書き始めている今は、まだ24歳なのだけど。 

 

四半世紀生きた。

四半世紀生きたといわれても、実感はない。まだ成し遂げたことも何もないし。しいていえば、義務教育を卒業し、現在進行的に、国民の義務を果たし続けていることくらい。

 

 

 

わたしは、10代のころからずっと鬱々とした気分になることが多々あって、今でこそ、その波が小さくなったけれども、まだ1年に1度は本気で誰とも喋れなくなる。この波の小ささに、少しばかり成長を感じ、寂しくなったりも、する。

 

 

繊細か?という問いには未だに何と答えれば良いかはわからない。

 

別に他人から言われた言葉にいちいち落ち込んだりはしない。というか、この人生、他人から言われた言葉に落ち込んだことなどない。むしろ、自分が相手にしてしまった無礼に対しては、軽く数週間は落ち込む。

 

 

 

学生の頃は、学校に行けなくなったこともあった。これは、誰かに何かをされた訳では全くなくて、自分が全てに対して中途半端にしか向き合えていなくてそれが悔しくて全てから逃げ出した。泣いても何も変わらないのに、毎日毎日泣いていた。夜が来ると朝が来るから、夜が来るのが怖かった。朝が来ると、諦めるしかなくて、この諦めが生きてることを嫌でも実感させてくれるから、嫌いじゃなかった。

 

 

生きてる意味がわからなくなったこともあった。どうして生きているのか、死にたいとは思わなかったけれど、生きていたいとも思わなかった。当時このことを日記に書いていたけれど、母親に読まれて、泣きながら怒られたのでそれから日記を書くのを辞めた。怒られた意味はわかるけど、わたしには怒る感情がわからない。

 

 

人間として何かが欠落しているのだと、日々思う

 

 

誰かのために、とか出来ない。

自分のことすら好きになれていないのに、誰かのことを大切にするなんて、不誠実に感じてしまう。これは聞こえの良い言い訳か。結局は自分しか可愛くない。

 

だから集団行動も苦手。

人のために動かないと、反感を買うから。わたしがやります!いやいや、わたしが!みたいなあの妙な儀式、あれがいちばん苦手。いや、嫌い。やりたくない訳じゃない、面倒臭い。今わたしがこれやるから次やって、じゃダメ?といつも思う。

 

ん?なんかズレたか。まあいいや。

空気の読み合いが苦手なので、馴れ合いが好きじゃない。それが理由で進学先を選んだのもひとつ理由なくらい。

 

誰かにプレゼント考えるのもめんどくさいな、と思うし、自分がプレゼントを貰っても上手な反応が出来ないから、プレゼントという概念、早くなくなんないかなってずっと思ってる。誕生日だから!とか、記念日だから!と日時を指定されるプレゼントが苦手なだけであって、街を歩いていて出会ったものに対して、これあの子に似合いそうだな、って思い浮かぶ瞬間はある。それをプレゼントにしたりも、する。

 

 

 

本音で向き合う、とか、全部話す、とかも出来ない。

 

最近の大きな悩みがある。わたしは、この世界のすべての人に対して、真実だけを話している人がいない。すべての人に対して、ちょっとずつ嘘をついてやり過ごしている。自分の都合の良いように、自分の中を、自分が話す以上に詮索されないように。あと単純に、めちゃくちゃ性格が悪いので、自分で口にしたくないようなことまで思っている、というのも、ある。

 

 

多分これは、これからもずっとそうで、全部話せる人に出会える、とかじゃなくて、自分が変わらないとダメな話。受け入れてくれるだろうなって人は、周りにたくさんいるから。

 

 

 

この自分は他の人より、何か大切なものが欠落しているんだろうな、と思いながら過ごすのは、今後の人生も変わることはないんだと思う。だからといって、変えられるものでもないし、意思をもって変えようと努力して、自分が疲弊したら意味ないし。このまま揺蕩うことにする。

 

 

 

誕生日だというのに、めっちゃ湿っぽくない!?

基本は人生楽しくやっているのに!!

 

 

24歳の振り返りもついでにしようかな、ここからは楽しい話題しかないです↓↓

 

 

最近、今年がいちばん楽しい!!と毎年思っている。好きなものが溢れ続ける日々、やりたいことが増え続ける日々。叶えるだけの、お金を少しだけ手に入れた自分。めっちゃ楽しい。

 

 

24歳はたくさんの場所に出掛けた。

北海道で見た雪景色も、長崎でみた夕暮れも、つくばで感じた穏やかな空気も全部忘れたくない。忘れられないと思う。

 

旅を通して、色んなことを知った。

太陽が沈むほんの少し前、地球のアウトラインが赤くなること。朝は本当に白いこと。

 

まだまだ知りたいことも、行きたい場所もたくさんある。時間が足りない。

 

 

好きなものを、ちゃんと好きだと認める。でも、好きなものだけに依存しない、自分だけの人生を真っ直ぐに見つめる。

 

 

そんな人であり続けたいと思う。  

 

 

この間、学生時代の友達とご飯を食べた。そのときに、「素敵な大人だよね、楽しいことを追い求めていて素敵」って褒めてもらったことが、ずっと頭の中を優しく支配している。誰かにそう思われたくて行動していた訳じゃないけど、そう思ってくれてることが嬉しかった。自分が、自分の好きに正直に生きていられている答え合わせみたいで。

 

 

 

20歳になる瞬間と同じくらい25歳になるのが怖かったのだけれど、25歳を迎えた今、思っていたより何も変わらなかった。変わらなかったことが嬉しかったし、生活は地続きなひとつのものであることがより正確にわかったような気持ちになった。多分これ以上身長は伸びないし、体力は落ちていってしまう一方なんだけれど😞

 

これからも、ひとつの生活を、多角的に見れるような大人になれるように、生きていきたいと思う。

 

 

 

 

追記:友達が、私のことについてブログを書いてくれた。すごく嬉しかった。早く出会いたかったって言ってくれたこと、これ以上ない褒め言葉だと思う。わたしは、たまに自分の趣味嗜好が変わっていると言われることがあって、自分にはそれがわからないから、嫌な気持ちになるんだけど、わたしの好きを肯定してくれる相手がいること、それだけでその嫌な気持ちが吹っ飛ぶんだよ。先週会ったばっかりだけれど、早くまた会いたいね、いつもありがとう、これからもよろしくね!オールナイトニッポン、ぜひやろう🤝

 

 

 

 

 

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揺らぐことはないきらめき

最果タヒさんの「ファンになる。きみへの愛にリボンをつける。」というエッセイを読んだ。

 

彼女が好きな宝塚を通して、ファンであること、好きの力について書かれているエッセイで、すごく暖かい気持ちになり、わたしの推しへの考え方と向き合うよい機会になった。

 

 

わたしには推しが多分人より少し多い。

 

この世界にはたくさん魅力的なものが存在していて、わたしは全てに興味がある。自分の好きなところに、好奇心旺盛なところ、があるくらいだ。

 

最果タヒさんのエッセイには、彼女が好きなものに対してたいせつな、でも確かな想いが書かれていた。だからこそ、わたしもわたしの推しに対する想いを文章にしたくなった。

 

 

今回は、ここ数年で一気にハマってしまったアイドルについて書こうと思う。

 

 

まずはじめに、

 

吉田仁人さんに出会ったのは、2年前。超特急を知り、EBiDANについての情報が入ってくる中でM!LKというグループがあるんだ、というところから。

たまたまM!LKがインスタライブをしていたタイミングに鉢合わせ、ん〜この中だったら仁人さんの顔が好きだな〜とぼやっと思ったのが仁人さんという人をちゃんと認識した瞬間だったと思う。

 

そこからの記憶がまるでないんだけど、次に仁人さんについてわたしが投稿していたストーリーでは既にYouTube全て視聴済、ラジオもちゃんと聞く人になっていた、この過程が知りたかったよ!!!!!!!

そして3月、初めてM!LKのライブに行った。

 

初めてみたM!LKのライブは、HEROというツアーの福岡公演だった。

吉田仁人さんは鹿児島県出身なので、九州公演が地元凱旋の判定になる。うれしい。だからなのか、だからじゃないのかはわからなかったけど(今になるとわかる。だから、という訳ではない)ライブの仁人さんは、キラキラしていて、ご機嫌で、本気で歌って、本気でアイドルだった。

 

 

今までずっと違う事務所のアイドルを好きでいて、ライブに通っていたけれど、初めて味わうライブだった。だれと比べている訳ではない、ということを念頭においておいて欲しいんだけれど、M!LK、すごい。ずっと私たちと目を合わせようとしながらライブをしてくれる。こちらを見てくれる。一緒にライブを作らせてもらっている感覚になった。

 

そこから一気にファンになった。

個人ファンクラブにも入り、仁人さんが投稿してくれる言葉から元気をもらったり、配信の優しさやかわいい後頭部に癒されたりしている。今も。

 

 

EBiDAN、あまりにも自分の中で予想してもいなかったコンテンツである"特典会"がある。

そう、本人と直接会ってお喋りしたり、ツーショットを撮ったりできる。

 

今までに、2度だけ仁人さんの特典会に行ったことがある。

めっちゃヤバい、特典会。

 

 

わたしにとってアイドルは、客席からステージを見上げると輝いてくれている存在だったのに、目の前に、いる。彼の人生の数秒が、わたしのものになる。そんなことがあって良いのだろうか。そんなことが現実に起こっているのだ。

 

仁人さんは、よくレギュラーラジオ番組であるレコメン!内にて、「吉田仁人特典会被害者の会」という仁人さんの特典会のレポを紹介したりするくだりがある。わたしは、まだ2回しか行ったことないからかもしれないけど、わたしは仁人さんの特典会の対応が酷いと思ったことがない。目の前にいるわたしたちと、同じ目線で、というかフラットな仁人さんでいてくれるような気がして、すごく好きな仁人さんだと思ってる。ここで、仁人さんはこう思っているだろうからそれはやめましょう!なんてメタなことはわかっているので、とやかくは言いませんが、わたしは、そのままの仁人さんでいてくれる特典会が、大好きです。

 

 

 

仁人さんの、好きなところはたくさんある。

少し触れたけど、いつもフラットでいるところ。自分の弱さを、悩みを、ちょっとだけ言語化して私たちにも聞かせてくれるところ、信頼されているようでうれしい。M!LKのメンバーから聞く仁人さんの話も、仁人さんのナイーブさがちょっとだけ垣間見えたりして、愛おしい。

 

お互いを褒め合うユーチューブで、「仁人は早く来ていつもスタッフさんを手伝ってる」って話を聞いて、仁人さんのことをもっと大好きになった。これも、自分が表舞台に立つ人だから、というフィルターがなく、目の前の人とフラットでいるからこそなんだろうと思うし、それに気付く周りのみんなもフラットなんだろうな、と思う。良いチームだなあ、M!LKって。

 

 

こうたらたらと書いてきたけれど、仁人さんの何よりも好きなところは、面倒臭い性格なところです。面倒臭い、だと言い方が良くないか。物事に対して、真摯だからこそ、ぐるぐるぐるぐる考えて自分なりの意見(これが偏見とも言われたりする)を持っているところ。

 

 

いつかの何かで(多分ラジオ)、自分の発言には責任が伴うから生半可なことは言えない、自分が発言するからには全てに整合がとれてないと、と言っていたんだけれど、それを聞いた瞬間に、わたしはこの人の全てを信じていようと決めた。言い方は悪いが、アイドルなんてその場しのぎだって、何も悪くないと思っている。だって、冷めた言い方をすれば商品と消費者だから。

 

それでも仁人さんは、わたしたちに真摯でいてくれる。そんなところが本当にだいすきです。今までも、確かに仁人さんの発言に違和感を感じたことがないのは事実で。きっとこれからもそうなんだろうな、という確信はあります。

 

 

投げ書きみたいなことをしてしまいましたが、最後に。

 

 

仁人さんの、世界があたたかいものでありますように。

お誕生日おめでとうございます

 

 

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ニットっていつから着て良いだろう、と聞いたら街にイルミネーションが付いたらだよと言われ妙に納得した

インスタグラムで書き始めたら、なかなか長文になってしまったので、ぜんぶをここに吐き出すことにする。

 

 

https://www.instagram.com/p/DRo062GkuFe/?igsh=MTR5Z285b29jOWlyNw==

 

くどうれいんさんの「うたうおばけ」というエッセイを読んだ。

 

友達と、相手に読んで欲しい本として交換した本。

 

このエッセイの始まりには、くどうさんが「たくさんお友達がいて〜」と知り合いに言われ、疑問を持つ話から始まる。

 

 

 

わたしは、友達が多くない。

友達の定義もずっとわからない。

 

わかることは、多分周りよりもわたしは友達だと思えるハードルが高いことだと思う。

 

恋人は、別れればその後は綺麗さっぱり知らない人に戻ることも出来るけど、友達はそうはいかない。ゆっくりグラデーションをかけて"知り合い"に戻るだけだ。そんなことなら、最初から知り合いに留めておけば良いのではないかと思ったりする。わたしの中の野田洋次郎が。

 

 

 

まあちょっとふざけたけれど、この間学生時代仲良くしていた子と数年ぶりに一緒にご飯を食べたとき、友達の話になった。その子は、

 

 

 

「わたしには、絶対的な友達の数が決まっていて、新しく友達が増えたら誰かは知り合いに戻っちゃう、それくらいのキャパしか持ってないみたい」

 

 

 

と言っていた。

わかる。と思ったし、言語化が綺麗だと思った。と、同時にその友達リストに入れているの、うれしいな、とも。

 

 

 

そう思っていたけれど、ここ最近の出会いだったり、くどうれいんさんのエッセイを読んで、そんな深く考えなくても良いのかな〜と思った。

 

くどうさんのエッセイの中にはたくさんの人が出てくる。でも、その人に依存している訳ではなく、くどうさん自身の人生を楽しく、豊かにするための登場人物のようにみえた。くどうさんの視点から書かれているので当たり前の話ではあるが。毎日連絡を取らなくても、月に1回会うことがなくても、ふとした時に連絡をとったりするだけでも、友達って言って良いんだ。

 

 

 

再三このブログにも書いてきたけれど、わたしは、この数年でEBiDANにハマった。今まではジャニーズしか知らなかったわたしは、EBiDANの横の繋がりの強さに感動した。

 

最近は、よく原因は自分にある。の現場に行くことが多くて、その度に新しい友達が出来る。友達が友達を紹介してくれて、さらにその友達が友達を紹介してくれる、、といったような。昨年まで、1人でコソコソと現場に行っていたことが信じられないくらい、友達が出来てすごく楽しい。一緒に楽しいねって言える相手がいるって、こんなに幸せなんだ。

 

 

 

そんな最近の価値観の変化で気付いたことがある。

 

 

わたしは、自分の全てを見せれる人のことを友達と言っていただけなのかもしれない。でも、きっとそうじゃなくても、友達って言って良いんだと思う。

げんじぶの現場で会う友達も、先に添付したインスタグラムのアカウントで出会った相手も、はたまた学生時代から仲良くしてくれている人たちのこと、全部知らないし、自分の全部を見せている訳ではないけど、わたしは出会えて良かったなって思ってるし、大切だと思ってる。それって、多分友達に抱く感情とおんなじなんだと思う。

 

 

今、上手いように纏められたから、多くは書かないけど、インスタグラムで出会えた友達もいて、それがすごく嬉しくて、わたしは、インターネットで知り合った人と会うことに別に躊躇いはないので、いつかは会ってみたいな、とも思っている。もちろん、好きなアイドル繋がりで知り合った友達もいて、初めは完全な形式的な挨拶だったのに、今では学生時代の友達よりも友達みたいな価値観でいれる相手だっている。

 

 

 

好きなドラマで、

「大人になっても友達って出来るんですね」

と言っていた。

 

わたしは、大人になったからこそ友達ってできるんだと思った。

 

 

 

これからも、出会える人と楽しく愉快な毎日を送っていきたいな

締め方雑か。またここだけ書き直すかも。

 

 

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こんな日もあっても良いよねって話。ありえないくらい眠った週末。

不毛な週末を過ごしてしまった

 

いや、不毛ではない時間もあった。もちろん。

でも、なんだかずっと身体が重くて、鬱屈としていたような気持ちになっている、大絶賛。

 

 

 

金曜日、終わらない仕事たちを投げて帰ってしまった。早く帰ってきたにも関わらず、風呂にも入らずソファで眠る。

 

 

 

土曜日、流石に仕事に行くか.....なんて思っていたのに、朝起きて昨日のやりのこし(風呂など)をしていたら疲れてまた眠る。なんと17時まで眠っていた。夜は、来週末への旅行のための作戦会議をする。ここは元気。

毎週土曜日に聞いているラジオの時間まで、音楽を聴いていたら、気付いていたら眠っていた。気絶から戻ったら、3時過ぎていたのでまたひと眠り。

 

 

日曜日、朝は友達と編み物倶楽部の約束をしていたが、朝寝坊。なんとか10分遅刻。

編み物倶楽部では、クラゲを編んでいたけど、最後で失敗してしまい、一旦やる気をなくし、帰宅。友達と、のんびり話しながら編み物をする休日の朝はとても良い。身体も、心も健康になる。

帰宅後、本を読んでいたら寝落ち。本当によく眠る週末。

晩御飯は、母と出掛け、日用品などを買い、帰宅。部屋の片付けをようやくする。スッキリ!

毎週日曜日の夜聞いているラジオを聞いて、映画見ようかな〜と思っていたら、気付いたら日付を超えていたので、一旦寝る。

 

 

月曜日、朝は好きなアイドルがテレビに出ているので、早起きする。本当に、仕事に行かないとまずいので、仕事に行く。仕事に行ったは良いが、ソフトが全然立ち上がらずにイライラして、ソフトを使う仕事はやらずに、帰る。明日やるか〜....。

帰ってお昼ご飯食べてたら眠くなって眠る。

ささっとお風呂に入り、今に至る。

 

 

なんだか不毛な週末だな、とずっと思っているのに、何も出来ずに終わった。

Chat GBTに聞いてみたら、眠りすぎると時差ボケになっているらしい。めっちゃわかる。

 

 

予定がある週末もたのしいけど、不毛な週末もあっても良いか〜と思うことにする。思うことにしないとやってられない。

 

 

明日からもがんばるか〜〜〜(p_-)

「私たち、絶対ここ好きだよ」って見つけてくれた、それって、絶対に愛。

 

 

秋も深まってきた頃ですが、今年の、また別の夏のはなしを。

 

 

エビライ連番をした最高マブと別れ、次の予定へ。

 

 

その日はお盆明けの月曜日で、東京へ行く前に連絡をしてみると、

 

わたし「今年はお盆こっち(地元)へ戻ってくるんだっけ?」

友達「今年は〇〇日だけしか戻らないよ」

わたし「まじ!そのちょっと前に東京にいるんだけど、〇〇日から〇〇日の間で会える日ある?」

友達「〇〇日いける!有給取るわ!」

 

というような流れで、有給をとってくれ、上野へ。職種も似てるし、勤務形態(月曜日から金曜日の日中働く)も似ているので、連絡しやすい。

 

茶店で待ち合わせをし、クリームソーダを飲みつつ、最近読んだ本の話や、次回の旅の予定を立てる。

 

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この友達とは、学生時代からの友達で、経県値アップ旅と名付け、47都道府県制覇する目論見を一緒に立てている。

 

次回の旅は、11月の島根。

また帰りついたらその話を書こうと思うよ、書きます。(このブログの投稿日時点ではまだ行ってません、あぶねー!)

 

 

この友達とは、とことん好きなものが似ている。だから、旅先でわたしは好きだけど相手が好きかわかんないな〜とかいう時間がなくて、ふたりでずっと楽しんでいられるのが、好き。

 

 

 

そして、その後は、上野集合であった理由である、国立科学博物館へ。

通称、かはく

わたしは、日本科学未来館のことが本当に大好きなんだけど、かはくのことも同じくらい好き。というか、博物館が好き。毎回ちょっと泣きそうになる。この涙は、間違いなく、先人たちの知識が集結されている空間、その時間を見ることができている感動の涙だと思っている。決してホコリとかではない。わたし、ホコリアレルギー無いし。

 

 

 

茶店と駅との距離のちょうど対角線くらいの位置だったので、少し歩く。

上野駅からかはくまでの並木道ってすごくわくわくする。目の前に上野動物園が見えてきて、右に曲がったすぐには国立西洋美術館があって、綺麗な道だなと思ったらかはくのゲートが見える。

友達と、東京の大学生をやってみたかったよね、なんて話をしていたらすぐ着いた。

 

 

 

今回の目的は企画展の氷河期展。

めちゃくちゃ良かった。氷河期って、想像もつかないけど、どうやら周期的らしい。わたしたちが生きている間には、無さそうだけど、いつかはまた地球が氷河で覆われる時代がくるのかなあ。

常設展にも行く。

常設展の豊富さに毎度驚くし、あれは、一気に見終わることは出来ない量。今回は、地球館の方だけ見て、退館。

 

そういえば、氷河期展のミュージックショップでランダムステッカー買ったら友達とお揃いだった!うれしい

 

 

 

今日の予定はまだまだ続く!

 

 

せっかく上野に来たのだからと、"昼飲み"をした。商店街を歩いて、ハシゴ酒するつもりが、居心地良くて結局1軒目でお腹いっぱい食べちゃった。わかる。そういうところある。めんどくさがりっていうのもちょっとだけ。(小声)

串カツを食べたんだけど、その友達とは、前回の大阪旅行で串カツを一緒に食べたから、大阪旅行の懐古話で盛り上がった。2ヶ月前の話だから懐古までいかないか。

 

 

お腹いっぱいになり、違う線でお互い帰宅だったので、この辺りで解散。次の日から研修だし。。。

 

 

東京で丸一日時間があったからこそ出来るような1日の使い方で、充実感に溢れながら、ホテルへ帰宅しました(_ _).。o○

 

 

 

学生時代よりも仲良くなっているような気がしてうれしい、大人になって、本当に仲良くしたいたい人の見定めがついた感じ

島根旅行、たのしみだね〜〜〜!