Sound Of Silence

この虚無感を昇華させる為に文章を書く。

 

 

 

思い出は、綺麗なままでとっておいた方が良いのか。無駄に、足掻くとそこには一滴の濁りが入り、綺麗なままでいられなくなるのか。

 

 

 

わたしの心の狭さが故にこの虚無感が生まれたのは分かっている。けれど、同じような、というかこの虚無感の近所に最近よく降り立つ気がする。

 

 

 

 

 

数週間前の、好きなアーティストのラジオ。「友達」の概念を話していた。一定期間合わないと親友から友達に降格し、知り合いになる、と。その連絡がそっけなくなると尚更。その区切りを作るのは頭が良いなあと思った。わたしは、ダラダラと名前だけの親友でいて、名前だけの友達で居続けてしまう。そこに、本当のソレがあるのか無いのかも分からないくらいに。その踏ん切りが出来る彼は格好良いなあと思うし、その方が潔くて気持ちが良いのだろうと思う。加えて、交友関係は狭く深くが良い、と言っていた。だからこその思考なのだろう。

 

 

 

 

わたしもそんなマインドで生きていきたい、と思う。だけど、ダラダラ交友関係を続けてしまうし、誘ってくれたらちょっと嬉しい。でも、会ったら会ったでお金を払う対価で虚無感を買ってしまうような気持ちになる。気持ちの堂々巡りが自分の中で始まって、虚無感から虚無感が生まれる。

 

 

ここ最近は、メンタルが安定していたせいで、今日の出来事は余計にメンタルを不安定にさせてしまった気がする。楽しみにしていた分、余計に。

 

 

 

 

 

 

 

また同じラジオ番組の話をする。昨日の放送回で、「自分が幹事を引き受けたけど、みんな乗り気じゃなくて辛くなった」という話をしていた。彼は、この気持ちを本人に伝えることで、そして、ラジオの電波に乗せることで、笑いへと昇華させていた。本当に格好良いなあと思った。彼のそのエピソードトークは、痛いくらいに気持ちが分かって、痛いくらいに自分にも経験があった。自分ばかりが頑張って、周りはどっちでも良いよ〜みたいな雰囲気。滅茶苦茶しんどい。本当にしんどい。けれど、そこでしんどいが爆発しかけたときに、いちばん良い道へ導く人が、彼にはいた。

「ここで、やらないと今後やらなくても良いが通用するようになるよ」

その言葉を、かけてくれる人が、いたことがわたしは、彼にとっていちばんの幸せなことだと思った。

 

 

 

 

支離滅裂な文章になってきた、、

 

 

 

わたしはわたしだし、わたしでしかないから、自分がいちばんで生きていきたい。嫌な気持ちになることから逃げても良いのかな、と思った。こんな支離滅裂な文章だけど、ちょっとだけ、書き殴ることで気持ちが楽になった

 

 

 

 

 

 

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