非凡庸な凡庸

久しぶりのブログになります。

 

今回から、というか気持ちの赴くままにこのブログにて

矢花さんへの返信を書いていこうと思う。

 

矢花さんへ返信?と思う方へ。

 

矢花さんこと矢花黎さんはジャニーズ事務所所属のアイドル。

彼が毎週Johnnys webにて更新してくれるブログへの返信、ということである。

 

矢花さんはたまに私たちファンに意見を投げかけてくれることがある。

 

一度このブログで回答したことがる(人生にキューをつけるならという話のやつ)

 

ブログ更新という名の自分の脳内整理も込めて

これからぽつぽつここに回答をしていくことにする。

 

 

⇩⇩ほんへ⇩⇩

 

さて、今回の議題は

 

「自分の意見は誰のものなんだろう」

 

推敲を大してせずに赴くままに書いていこうと思う。

 

まず最初に読んで思ったことは、矢花さんの意見に全肯定だということと

わたしの嫌悪感の根拠がわかった気がした、ということ。

 

全肯定というのは、矢花さんは自分の意見について

「色々な人の思考を取り入れながら最終的に自分で選択をすること」

だと言っている。わたしもそうだと思う。

 

実際、どう思う?と聞かれるタイミングで答えるとき、

思考回路として誰かとの会話を思い出したり、

脳内に取り込んだ情景が脳裏に過ぎることがほとんどだ、と思った。

 

これは、誰かの意見の受け売りだと言っているわけではなく、

会話や文字の情報を糧に自分の言葉で自分の脳内を言語化して

「自分の意見」として相手に表明しているんだと納得した。

 

 

先に書いた「わたしの嫌悪感」というのは、

わたしが相手を苦手だと思う瞬間として、自分の意見がないな、と思うときがある。

 

例えば、相手が誘ってくれたご飯会にもかかわらず

「好きなご飯に決めていいよ〜」というタイミングだったり、

これからどうする?という状況になったとき「なんでもいいよ!」と言われるときだ。

 

つまりは選択をすることを放棄している人、なんだと思う。

 

放棄するってちょっと無責任だと思うし、相手にとって不誠実だとわたしは思う。

 

でもそれはその人の感性だし本当に相手に合わせることに喜びを感じているような人がいるかもしれないからあえて直接言うのはしていないけど。

 

だからこそ矢花さんの回答に納得したし全肯定した、ということである。

 

(ここで寝落ち、現在朝)

 

今回の矢花さんへの回答は、つまらないかもしれないけど、

 

自分の意見とは、自分が選択した答え

 

だとわたしも思う。

 

#矢花黎に物申す

 

 

 

PS.わたしはきっと矢花さんと同じクラスだったらめちゃくちゃ仲良くなりたかったな、と思う。休み時間の度に一緒に哲学したかった!