あぶね〜〜!危うくこのブログ、現場ブログだけになるところだった!
再来週にまた現場控えているのでまた現場ブログ更新される訳ではあるけれど^^
あるアイドルが、心が動いた時だけブログ更新する、って言ってたけど、その気持ちわかるなあと今になって思う。
何書こうかな、と思いながら、思いのままに文章を書きたくなってこのページを開いた。
最近はというと、ちょっとムズッとしたり、ワクワクしたりまあ、至って2,3年前と変わらない生活をしている。変わったのは社会人になったってだけだと思っている、そうだといいな。
今でも白猫が横切ると嬉しいし、雨上がりの空で必死に虹を探したりしている。小さな幸せ、ときめきを忘れられていないと思うし、今いる場所でもそれを大切にしてくれている。
そういえば、去年の誕生日に友達からこんな連絡をもらったのを思い出した。
「今の職場はあなたの価値観に寛容で安心してるよ」
この言葉をもらった時に、確かになあと嬉しくなったのを思い出した。
今の職場は、優しい人が多い。単純な優しさだけじゃなくて、本当の優しさ。
私がどうしようもなくなったときにすぐさま背中を押してくれる、助けてくれる人や、第三者からよくないことを言われてた時に世間体を気にせずに声を荒げてくれた人、次、どこの職場に行っても通用するようにルールや決まり事をきちんと教えてくれる人。この人たち全てに共通することは
「私の意見を一度きちんと飲み込んでくれること」だ。
私は今までそんな人でいれたかな、と振り返って不安になる。
今からそんな人になればいいのだ、と自分に言い聞かせる。
なんか辛気臭い文章になりかけている!危ない!!
一度好きかも、と思い始めた相手が極度のマザコンでも、今日もわたしは元気に生きています。うわ、この話したくなってきた。
ここからは編集後記の気持ちで。
ちょっと好きかも、と思い始めた相手とご飯に行った。店員さん相手にメニュー表を向けて注文していて素敵な人だと思った。ご飯を食べた。見事に会話がつまらない。「趣味はなんですか」と聞いたら「特にない」と言われた。そっか、と思った。わたしにとっては趣味が人生に置いていちばん大事なことなのだ、とこの時気づいた。相手がよく、本当によく母親の話をする。びっくりした。「母親がiPhone8を使ってて可哀想だから最新機種を買ってあげたんだ〜」と言ったとき、あ、この人とは無理だな、と思った。別に母親に携帯を買ってあげることは素晴らしいことだと思う。わたしにはできないことだし。でも、「可哀想」って何?え、少し古い携帯を使っていることが可哀想の対象なの??全然意味がわからなかった。思わず「え?」って聞き返してしまった。自分じゃない誰かに可哀想という感情を抱くのは本能的なことだと思うけど、その可哀想のベクトルが、私には理解できないものであったこと、フェミニストなところがでているかもしれないけど、それは女性軽視じゃない?と思ってしまったこと、この人ともし付き合って、結婚することになったら、こういうことで可哀想と思われてしまうんだなと思ってしまったこと、相手のことも、そう考えてしまった自分のことも全部が嫌だった。お会計のときにはぐったりと疲れていた。期待していただけ余計に。終いには「親の車で帰るから解散」と言われたし。それは私に魅力がなかっただけなのはわかる。お店を出て少し歩いていたら「次は〇〇食べに行きたいんだよね」と言われて、いや、次は無いよ、と確信はあったから約束はせずに帰った。ああ、楽しみにしてたんだけどな。