お花見したい。できればスギ花粉を感じない場所で!

春。

 

桜が街の至るところで花を咲かせ、視界から春の訪れを感じせざるを得ない状況になってきた。否定的な言葉に聞こえるけど、とても喜んでいる。なんせ、私のアレルギーは桜が咲き始めると少しづつ治ってくるからである。単なる花粉症だけど。

 

今年、5年間通いつめた学校を卒業した。5年間、というと果てしない日々に感じる。実際果てしなかった。早く辞めちまいたいと何度も思った。こんなことを思いながら、過ごしていた訳ではあるが、それなりに記憶が沢山ある。嫌でも毎日顔を合わせていた訳だから、沢山の会話をした。どの小説が面白いだとか、好きな動画、ネタ、この化粧水が良い、とか。だから、日常の至る所に記憶を呼び起こすトリガーが隠されている。そんな話を、クラスメイト、異性だし、ただ趣味が少し似ているくらいの間柄、にしたら、

 

「義理堅いね」

 

と言われた。私には、さっぱり分からなかった。これは義理堅いのか?義理なのか?という疑問に頭が支配されてそこからの会話はあんまり覚えてないのだが、今でもこの疑問は解決していない。

 

私の想像していた義理は、俗に言う武士みたいな、相手のためになんだってする、とか、相手とこの約束をしたのだからなんとしてでも約束を果たすぞ、、、!的なニュアンスだと思っている。まあ、この話は、結局相手の真理はわからんな、に帰着するのだけど。

 

どうして、この言葉にいつまでもモヤモヤしているのか考えたら、きっと義理の意味がわからなかったからじゃないような気がしてきた。「義理堅いね」と言われて、なんか恥ずかしくなったからだ。5年間も一緒にいたのに、私だけクラスのことが大好きみたいじゃんか!っていう小っ恥ずかしさ。みぞみぞする感じね、辞めちまいたいと思っていたくらいなのに、大好きとか!みたいな変なプライドもあったのかもしれん、いや、大好きなのだけど。同じ熱量じゃなかったことへの恥ずかしさかな。

 

永遠に私の思考回路は止まらないので、次は同じ熱量について考え始めてしまった。これはまた別の機会に。

 

結局、しっかりお花見の用意して桜の下でご飯を食べている時に横を全然お花見じゃない人が通るとちょっと恥ずかしいよね、ってことを言いたかっただけです。