相手にかける言葉はいつだって自分がかけて欲しい言葉にしたい

誰かと一緒に写真を撮ると、自分が異物だと思うことがよくある。

もちろん、一緒に写真を撮ってくれている相手はそんなこと微塵も感じていないと思うけれど。

 

学生時代(といっても卒業してまだ1週間しか経過していないが)、仲良くしていた人たちの誕生日を祝うごとに写真を撮った。卒業旅行でも写真を撮った。その度に、私にこの違和感を植え付ける。

 

この違和感を分析するならば、おそらく着ている洋服だと思う。きっと飛び抜けて着ている系統が違う。正確には違く見える。淡色の洋服の中にポツンといる原色の洋服。変えたいとは思わないけど、少し辛くなってしまう、なんていう独り言。

 

ほんとうに言いたいことはこれではなくて、まあ、これもその一つなんだけれど、こういう話を違う相手にふわっとしたことがある。

 

「今まのままでいいよ、その洋服が似合ってる」

「着たらいいんじゃない?」

 

こんな答えが返ってきた。わかる。もちろん自分が中々の面倒臭い質問をした自覚もあるんだけど、もらう言葉でこんなに気持ちが変わるのか、と思った。今の自分を肯定してくれるってこんなに気持ちが軽くなるんだ、それと同時に、私の悩みはちっぽけで、興味のない人にはどうでもいいことなのだ。

 

上手く言葉にできないけど、相手にかける言葉はいつだって自分がかけて欲しい言葉にしたいと思った。そうすると、自分にも返ってくるような気がするし、相手の心を軽くしてあげられるような気がする。私の好きな人が言っていた、「心の救急車になりたい」と。私もそうなりたいとここに誓う。

 

久しぶりに、文章を書いているけど、意外と私は気にしいで面倒臭い人間なんだと改めて感じた。そんな自分を愛したい。愛せるようになるといいな

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これは最近撮った桜の写真です。春になったなあ