梅雨時期のボブってむずいんだ、と7年ぶりに実感

梅雨です。

 

雨のことは、そんなに好きではないけれど、

洋服や靴が濡れちゃうな、と鬱屈としたり、はたまた次晴れる日への待ち遠しさを感じたり、日常の、気持ちの変化が少しだけドラマチックになるような感じがするから雨の日は好きです。

 

昨年から、雨によって仕事が左右されてしまうような職場にきたので、雨の日について、これまでの人生よりも少しだけ考えるようになりました。

 

 

気持ちの変化がドラマチックになる、と記述しましたが、今回はそんな話をしようかな、と。

 

 

有料サイト内でのブログなので、多くは記載出来ませんが、わたしの好きな人、ずっと追いかけていきたい物語だと思わせてくれるような日々を見せてくれる人が考えていたことについて、わたしなりの見解をつらつらと。徒然なるままに書いていこうと思います。

 

 

わたしは、おそらく人よりも落ち込みやすく、嬉しくなりにくい性格をしていると思う。楽観的になりたいくせに、楽観的になったとしても結局は上手くいかなかったら全部台無しだしな、と悲観的になったりする(面倒臭い)

 

 

だけど、雨の日に濡れたくないな、と嫌な気分になったり、好きなアイドルのライブのチケットが当たらなくてなんで!!と悲しんだり、はたまた素敵な映画を見終わった後の、心満たされる瞬間や、誰かがふと褒めてくれたその一言を聞いたとき、わたしの気分の波がグッと上にも下にも揺れる。

 

 

そんな気分の浮き沈みがわたしであり、わたしの生き心地かな、と思っていたりする。

 

映画や小説、物語を追いかけることが好きなのだれど、物語の中の登場人物って気持ちの浮き沈みが当たり前だけれど激しい。そんな物語を小さい頃から追いかけていたからこうなったのか、自分が浮き沈みが激しいから好きになったのか、どちらが先かはまあ良くて、自分の、この気持ちの浮き沈みが、わたしだけの物語をつくっているみたいで、嬉しい。わたしを生きているんだなって実感したりする。

 

 

まあ、本当に気持ちが落ち込んだときはそんなことを思っている余裕などない。間違いなく。

 

 

自分が自分の物語の主人公だ!と思いながら日々を過ごすと、思っていたより何倍もドラマチックで、愛おしく思えるようになります、毎日が。

 

 

雨の中、傘を差してバス停でバスを待っているとき、仕事で上手くいかなくて怒られたとき、お気に入りのハンカチを持って出掛けるとき、全部がわたしの物語の一部。

 

 

 

 

それが、わたしの、生きているということ。生きていたいということ。

 

 

 

 

 

外はテカテカしてまぢあっちーですが、それも夏編のはじまりということで、暑さのせいになんかしちゃってHip Hopなフリして自分とギリ生きていこーね!

 

 

 

 

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青空の写真を載せたかったけど、良い写真が無かったので最近みた水槽の写真を

あたたかい毎日、それは最大限のしあわせ

自分が自分であるために、という言葉がよく喧騒の中を日々生きる我々にとって救いの言葉であるように言われたりします。

 

 

自分が自分であるってなんなのか、と最近考えます。

 

何も考えずにぼけっとしてるのも、好きなものに対してワクワクしているのも、好きな人の前ではちょっと格好つけてしまうことも、心が健康ではなくて誰とも話せなくなってしまうことも、

 

全部ぜんぶ、わたしなんだと思う。

 

 

自分が自分である、という本当の意味は、

 

どの自分も愛し、自分であることを認めること

 

なんじゃないかとわたしは思います。

 

 

だから、やりたくないことから逃げるための免罪符でも、ここにいて良いんだという肯定でもなく、全ての自分を、自分が大切にしてあげるための言葉であるとわたしは信じていきたい。

 

別に、何があったわけでもないけど、ただ単純に最近バタバタとしていた日々を駆け抜け終わり、自分なりの哲学をする時間ができた、という話

 

 

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さよならは、また会うためのおまじない、と言うけれど、今までありがとう、の愛を込めた別れの挨拶だとも思います

寒い冬から季節は巡り、新緑の季節へとなってきました。

しかしまだ、朝晩は冷え込み、いつ冬用の分厚い毛布とお別れして良いのか、、、

 

ここ数回は現場ブログであったり、スキップします宣言であったり、

自分の最近を整理できていないような気がして、なんとも悔しいなと思い、

カタカタと文字を打ち込み始めた所存であります。

 

 

最近というか、この1年くらいでわたしの中に大きな変化を感じたことがあります。

 

友達付き合い

 

です。わたしは基本的にひとりでいることが嫌だと思わないので、あまり自分から誘ったりはしないし、でも、小心者なので断るのは怖くて、ダブルブッキング以外は誘われたら断りません。

 

しかし、去年、わたしの中で未だにどうしても許せないことがあり(謝罪をされ、その場ではどうして良いかわからず謝罪を受け入れたのでこれについては今後誰にも言うつもりもないし、このことについて本人に言及することもありません)その1週間後にふたりで会う約束をしていたのですが、初めて「行きたくない」と断りました。

 

断ることについて、すごく怖かったし、これは断らずに行ったほうが楽なのではないかとも思いましたが、行ってもわたしは彼女に対して今まで通りに接することはできないと思ったし、楽しい会にはならないと確信がありました。

 

 

彼女は、学生の頃、わたしといちばん仲良くしてくれていたし、ふたりで大冒険もした。価値観が同じだから、と信じて疑わなかった。

けれど、お互い社会人になって毎日を一緒に過ごすこともなくなり、たまに会うときにん?と思う場面が多くなってきた。これは、お互いが身を置く場所が変わったからなのかなと思ったけれど、おそらく違う。彼女が、ずっとわたしの価値観に合わせてくれていたんだと思う。

今になってもよく価値観に尖りがある、と周りから言われることがある。

そのことについては自覚しているけど、学生の頃よりも隠すのが得意になった。

だからこそ、彼女をわたしと一緒にいるときに合わせてくれていた価値観から、解放してあげるべきだと思った。わたしももう失望したくない。この失望が、勝手な期待だってことを痛いくらいに分かっているから。

 

 

これは約1年くらい前の出来事なんだけれど、この期間、ずっと胸の中につっかえるような苦しさがあったけれど、いつか整理をしなければならないと思っていたので、ようやく。雨だし。今日は。

momentary eternity

 


夢を見せてもらった

 


刹那的だとわかっているのに、それでも永遠を願ってしまうような夢 

 

 

 

昨年から好きになった、原因は自分にある。のホールツアー「嘲笑倫理学のすゝめ」の大阪公演へ行ってきた。

 


わたしにとって、昨年11月の白昼夢への招待以来2度目のげんじぶ。白昼夢のときは、初めてのげんじぶのライブだったので周りについていけるか、と一抹の不安を抱えながら臨んでいた。

しかし今回はしばらく時間が経ったこともあり、11月の頃よりもげんじぶに対して造形が深くなっていたことや、わたしが観劇したのは大阪公演で、ツアー終焉の場所ということでツアースタートから時間もあり、ちゃんと楽しめるようにセトリ予習していたこともあり、不安よりも楽しみが勝っていた。

 

 

 

 


とにかく凄かった。

 

 

 

わたしの好きな言葉に、

「その日が自分的にダメダメな日でも、寝る前に良い映画を見たらその日は良い映画を見た日っていう気持ちで終えられる」

というものがある。

 


ライブを見終わったあと、わたしはその言葉を思い出した。

とにかく、去り際が綺麗だった。

 


Maniaという曲の最後のサビ終盤から緞帳が降り始め、Overdose of loveの言葉と共に照明が落ち、モニターの嘲笑倫理学のすゝめが閉じられ、煙と共にステージから降りる。アンコールは無し。

 


まるで幻だったかのように終わってしまう。

 


その演出が本当に本当に大好きで、ステージの人としてライブが終わる、ひとつの作品がそこにはある。

 

 

 

ライブってアンコールがあるものだって暗黙の認識があるけど、本編最後で綺麗に終わったあと、ふわっと開けた雰囲気でアンコールが始まる感じちょっとそっかーって思っちゃうときがあったりするから、(本編のコンセプトがしっかりあればあるほど)狂気狂乱のManiaで終わる今回のライブはすごく好みです、一個人として。

でもツアーグッズのリメイク着てるげんじぶを見たい気持ちも非常にある......(小声)

 

 

 

あと何と言っても全編通してずっと本人たちが楽しそう、全身全霊で歌って踊ってくれているのがすごく伝わるライブだった。そして、その先には常に私たちがいるってことを思ってくれていることが伝わってきた。決めるところは決めるのにそれでいて自由な7人を見ることが出来て幸せだった。

 

 

 

あ!あと、久下真音さんリミックスが最強だった話もさせてください

 


ライブの終盤からメドレーでどんどん繋がっていくパートがあるんだけど、そのメドレーが見事で、見事なんて上から目線みたいな感想になってしまっているけど見事だった。大好きだったからどうか音源化お願いします....また聴きたい.......

まるで走馬灯みたいに駆け巡っていく曲たち、全部が輝いていた。

 

 

 

アイドルって永遠じゃないってわかってるけど、この7人は永遠でいてくれるんじゃないかって思わせてくれる。本人たちが、どんなときも7人でいるって決めたって言葉にしてくれてるから、半信半疑ですらなく絶対安心なんだと思う。やっぱりアイドルに求めるのって、ファンに対する気持ちよりグループに賭ける気持ちだと思っているから、、、(一個人の感想です)

 


どうか、7人の指に光る、彼らが決意だと言っていたリングが追い風となってこれからもずっと輝いていますように。

 

 

 

7月の序破急が待ち遠しい、その日までわたしはこの思い出を糧に、日々を駆け抜けていきます。

下書きの日々。冬だからか、はたまた年度末だからか

色々な話題で下書きはあるけれど、投稿させるまでの推敲が出来ておらず、下書きに留まっている日々。

 

月に一度は更新したいと思っているので、飾った文章ではなく、今のほんの少しの心のレースを開く文章を。

 

最近は、仕事仕事仕事仕事仕事になってしまっていて、脳内が仕事に支配されてしまっている。よくない、わたしは生きるための仕事をしたいのに、と思っているのに、迎え撃つものがあまりにも自分が見たことがないものばかりで、壁を越えるのに精一杯になってしまって、支配されてしまう。しょうがない、1回目だから、と自分を慰めながらなんとか過ごしている。

 

 

しかし、仕事がとても辛いから人生もとても辛い、というわけでもなく、いちにちに3軒も喫茶店も巡る日をしてみたり、超かわいいアクセサリーに出会えたり、なんと!好きなラジオでメールを読んでもらえたり!ちゃんと潤いはあります。よかった。

 

 

心が疲れてしまわないように、となんとか逃げ道を作れている自分を褒めながら、少しだけ本を読むことが出来なくなってしまったけど、また春が来ればきっと。

 

 

 

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いきものは、無意識に数秒先の未来を想像して行動しているらしい

大好きなポッドキャストの番組で言っていた。

 

大好きなポッドキャストというのは、お台場にある日本科学未来館の番組、「未来を雑談するラジオ」のこと。

 

 

ポッドキャストにハマり始めのころ、番組をディグっていたときにたまたま名前に惹かれて聞き始めたのだけれど、たちまち虜になった。

 

未来館の常設展の制作秘話などを話してくれる番組なのだけれど、元々ものづくりが大好きなこともあって、その話が楽しくて楽しくてしょうがない。九州の田舎に住むわたしが、実際に見たくて、東京まで行った。

 

 

そこから今日まで、ずっとずっと日本科学未来館の虜で、早くまた行きたいと夢焦がれる場所。

 

そんな場所で働きたいと思って求人まで見た。(中途半端な学歴のせいで断念したけれど)

 

それでもわたしは、未来館にこれからも夢を抱き続けたい。この世界の知らないことを教えてくれる未来館が大好き

 

回し者でも、なんでもなく、単純なわたしの恋。

 

 

そんなポッドキャストで、ロボット研究の先生が、

 

「いきものは、無意識に数秒先の未来を予測しながら生きている」

 

と言っていたのが印象に残った。

 

確かに、自分が未来を予測しながら生きているなんて思いもしなかった。ましては、自分は未来なんて考えられてないと悲観的に思っていたりもするのに。

 

よく、「将来のことをちゃんと考えなさい」なんて叱り文句あるけれど、これにはこう返しても良いんじゃないか

 

「わたしが今こうして話しているのも、過去のわたしが考えているからだよ!」

年末大精算スペシャル!

いよいよ2024年も終わりに近づいてまいりました。

 

素因数分解が上手くできる久しぶりの年でしたね、2024。

 

 

わたしは、今年も沢山のことを考えました。そして、生まれてきていちばん沢山の場所へ出掛けました。

 

そもそも圧倒的にインドアだったわたしがここまで沢山のものに触れられた今年は今後の人生において宝物になるだろうなと強く実感しています。

 

でも、振り返ってみると大きな幸せばかりに目をつけて、小さな幸せを蔑ろにしてしまったのではないか、そう思ってしまう日々もありました。

 

今年、20数公演のライブやミュージカルを見ましたが、そのときにふと、1年に1回だけしかライブに行けなかった高校生の頃のことを思い出してしてしまいました。あの頃は、その日のために1年頑張って、その日の思い出を糧に来年のために頑張る。1年に1回しか見れないから目に焼き付けなくちゃ!楽しまなくちゃ!の気持ちを大切にしていたなあと。

 

決して今が大切にしていないと言われれば嘘にはなります。しかし、同じツアーを何公演も入れる時間とお金を手に入れた今、見逃してしまったサイコータイムなどを、まあ次見れば良いか、なんていう怠慢が生まれてしまっていたのも事実で。大人になってしまったからはしゃがなくなったなんてつまんない言い訳にもしたくなくて。

 

ひとつひとつの幸せにもしっかり目を向けたい、目を合わせていきたいと下半期はよく思っていました。だからこそ、来年は、来年も今あるものに対して今ある幸せを実感しながら過ごしていきたい。そう感じます。

 

 

大きな世界に出ることも、手元にある世界を大切にすることも、両方のバランスを保つ最強ウーマンになりたいのです。わたしは。

 

 

 

今年も例にもなく来年やりたい100のことを真剣に考えています。来年への期待に胸を。ワクワクする明日へ。

 

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