梅雨です。
雨のことは、そんなに好きではないけれど、
洋服や靴が濡れちゃうな、と鬱屈としたり、はたまた次晴れる日への待ち遠しさを感じたり、日常の、気持ちの変化が少しだけドラマチックになるような感じがするから雨の日は好きです。
昨年から、雨によって仕事が左右されてしまうような職場にきたので、雨の日について、これまでの人生よりも少しだけ考えるようになりました。
気持ちの変化がドラマチックになる、と記述しましたが、今回はそんな話をしようかな、と。
有料サイト内でのブログなので、多くは記載出来ませんが、わたしの好きな人、ずっと追いかけていきたい物語だと思わせてくれるような日々を見せてくれる人が考えていたことについて、わたしなりの見解をつらつらと。徒然なるままに書いていこうと思います。
わたしは、おそらく人よりも落ち込みやすく、嬉しくなりにくい性格をしていると思う。楽観的になりたいくせに、楽観的になったとしても結局は上手くいかなかったら全部台無しだしな、と悲観的になったりする(面倒臭い)
だけど、雨の日に濡れたくないな、と嫌な気分になったり、好きなアイドルのライブのチケットが当たらなくてなんで!!と悲しんだり、はたまた素敵な映画を見終わった後の、心満たされる瞬間や、誰かがふと褒めてくれたその一言を聞いたとき、わたしの気分の波がグッと上にも下にも揺れる。
そんな気分の浮き沈みがわたしであり、わたしの生き心地かな、と思っていたりする。
映画や小説、物語を追いかけることが好きなのだれど、物語の中の登場人物って気持ちの浮き沈みが当たり前だけれど激しい。そんな物語を小さい頃から追いかけていたからこうなったのか、自分が浮き沈みが激しいから好きになったのか、どちらが先かはまあ良くて、自分の、この気持ちの浮き沈みが、わたしだけの物語をつくっているみたいで、嬉しい。わたしを生きているんだなって実感したりする。
まあ、本当に気持ちが落ち込んだときはそんなことを思っている余裕などない。間違いなく。
自分が自分の物語の主人公だ!と思いながら日々を過ごすと、思っていたより何倍もドラマチックで、愛おしく思えるようになります、毎日が。
雨の中、傘を差してバス停でバスを待っているとき、仕事で上手くいかなくて怒られたとき、お気に入りのハンカチを持って出掛けるとき、全部がわたしの物語の一部。
それが、わたしの、生きているということ。生きていたいということ。
外はテカテカしてまぢあっちーですが、それも夏編のはじまりということで、暑さのせいになんかしちゃってHip Hopなフリして自分とギリ生きていこーね!
青空の写真を載せたかったけど、良い写真が無かったので最近みた水槽の写真を